NHKの教育テレビで「口笛吹いて。空き地へ行った。知らない子がやってきて。遊ばないかと笑って言った。ひとりぼっちはつまらない。だれとでも仲間になって。友達になろう」という歌を聴いた。テレビCMも「1年生になったら。友達100人できるかな」なんて言ってる。6歳の私が「友達が100人できないと人間として失格なのだ」と考えても不思議はないだろう。将来電話レンジ(仮)が発明されたら6歳の私に「大切な友人が数人いれば十分」と伝えてあげたい。CMの歌詞が子供に呪いをかけてしまう危険があることを大人たちは肝に銘じておくべきだ。もし自分の子供に呪いがかかったら直ぐに解いてあげたい。
大変失礼な話だが2017年に再婚したタイミングでSNS(Facebook、Instagram、Twitter)の人間関係を少し整理した。離婚して気まずい気持ちもあったし前妻と共通の友人をフォローし続けるのは今の奥さんへの裏切りを意味すると感じたのだ。私がされて嫌なことは相手にもしたくない。
陰キャな私はTwitterも大人数でワイワイするより波長が合う少数の人と会話するのが性に合っている。フォロワー数が増えると誹謗中傷が増えるとも聞くし、全てに返信することも難しいだろう(増やせないから大丈夫だが)。
このように私は不器用だしキャパシティが小さい人間なので「友達100人」という状態を維持できない。そのことが分かっているので定期的に人の断捨離を行っている。断捨離と言っても「友達やめます」と告げるような野暮なことはしない。SNSのフォローをそっと外したり、飲み会を断ったりという細やかなものだ。飲み会が減りお金が減らなくなるし、時間が増えるので大事な人間関係(奥さん/子供/大事な友人)に集中できる。
「友人がいない」のと「知り合いがいない」のとは別の話だ。処世術(世の中を上手く渡るテクニック)として便宜上(実質知り合いレベルの)友達を沢山作っておくことで自分の身を守るのは良い戦略だと思う。弱肉強食の世の中で敵を増やすのは得策ではない。
人望があり/器用で/懐が深く/自然に人が集まる真の人気者は居る。そういう人に友達が沢山居るのは極めて自然である。政治家とか会社の社長にこういう人が多い気がする。一方、人望が無いのに友達を増やそうとする偽の人気者は厄介だ。第一印象を良く見せるテクニックで一時的に人は集まるが、深く付き合うと底知れぬ闇(強いコンプレックスや妬み嫉み)が見えてくる。一緒に居ると息苦しくなるのですぐにわかる。こういう人間はカバードアグレッションという善人の顔をした悪魔である可能性が高い。だとしたら関わると確実に不幸になるので距離を置くのが良いだろう。